セリチャンの配信のコメントに思うこと
先日セリチャンのYouTubeの配信に寄せられたコメントが目に留まりました。
自虐的表現はバカにされてると感じる方もいるので匙加減が難しいですね。私にも身に覚えがあります。万人に受け入れらる表現というものはなく、逆に言えばどのような表現であれ気にいる方も必ずいるので、節度を持ちつつ自分のお好きな表現を貫いて欲しいです。応援しています。 https://t.co/KrUNWNhUfS
— AS ROMA電子報告 (@asroma_dempo) August 1, 2025
私も過去に似たような経験をしたことがあって、その時の記憶がありありと蘇ってきました。せっかくなのでその時の経緯や思ったことなどを書き残しておこうと思います。
面白おかしく話をする手段の一つにイジるというのがあることは皆さん知っていると思います。
しかしその対象が他者の場合、イジるの性質上往々にして相手を傷つけ、見ている人達を不快にさせたりすることがあることも良くご存知かと思います。
その一方でイジる対象が他者ではなく自分、いわゆる自虐というのもあります。
前者と比べると自虐は自分で自分をイジるわけですから相手を傷つける心配はなくなり、見ている人達を不快にさせる可能性はグッと減ります。
臆病で人に怒られたり、責められたりするのが大の苦手で、目立たないように世界の片隅で息を殺して生きている私のような人間にとってはリスクが高すぎてとてもとても他者をイジることなどできません。
SNS上で日々炎上を目にするなら、なおさらです。
けれどこういうブログを運営している以上、私だってできる限り多くの方にローマを知ってもらいたいですし、自身の承認欲求だって当然あります。
多くの人の目に留まるためには面白おかしく話をした方が得策なのは自明の理なのです。
なので私はローマに関する試合の感想やXのポストで比較的リスクの少ない自虐をよく使います。
またその延長でローマをイジる、自虐的表現もよくします。
ローマは人ではないので、傷つける心配はないですし、私的には「私の」ローマという感覚があるからです。
そしてある時Xにスヴィラルに関連した自虐的ポストをした際、ある方を大変不快にさせて、怒らせてしまいました。
青天の霹靂でした。
私としては自虐的ポストのつもりでしたし、この時はどちらかと言えばローマではなくスヴィラルをイジったものでしたけれど、ASROMA電子報告という私のアカウント名を見てもらえば、私がローマやスヴィラルを愛していて、ローマやスヴィラルをバカにしたり、貶めたりする意図がないことは伝わるはずと思っていたからです。
けれど事実として私は人様を不快にさせてしまいました(その方には謝罪したけれど、返答は頂けませんでした)。
この方だけでなく同じように不快に感じた方が複数人いたようです。
このことは私にとってとてもショックな出来事で当時は物凄く落ち込みました。
ひとしきり落ち込んだあと、同じ過ちを2度としないように一体何がいけなかったのか考察しました。
その結果
ローマは人ではないが、私のものでもない
ということに私が気づいていなったことが一番いけなかったのだろうなという結論に至りました。
ローマは人ではなく、ローマをイジっても傷つける心配はない。
これに間違いはないと思います。
ここまでは良かったのです。
ここまでは良かったのだけれど、ローマが好きという気持ちが高じて、「私の」ローマという感覚を持ってしまった。
これがいけませんでした。
ここで言う「私の」ローマとは言い換えるとローマと私は一心同体だというような感覚です。
当たり前だけれど、ローマが好きな方は世界中にたくさんいるわけで、ローマは私のものではなく、みんなのものなのですね。
そんな中で自虐の時と同じ感覚でローマをイジるとどうなると思いますか?
「私の」ローマではない=私とローマは別の存在=ローマは他者のようなもの
ということなわけなので、いくら私が
これは自虐です!皆さんこれは自虐なのです!ですからなんのご心配もなく!
と叫んだところで、傍からは私がローマという他者をイジっているとしか見えないわけです。
そしてローマには世界中にたくさんのファンがいる……。
そりゃ
オイコラ、ワシの可愛いローマを何いじめてくれとんねん!
と怒る方がでてくるのも至極当然だと思いました。
以上が私が経験したことです。
けれど現在私が自虐的表現を封印したかというとそうではありません。
なぜか?
それはこういうことを気にしすぎると、無難なことしか言えなくなると思ったからです。
それはまずいと思います。
なんのためにこれだけ多くの人間がいるのか?
生物としての進化の可能性を最大化すべく多様性確保するためと私は考えています。
十人十色でそれぞれに個性があることに意味があると思っています。
なので私は私の良いと思う表現を続けていくことで、個性を発揮していきたいのです。
それに冒頭の引用ポストにもあるように万人に受け入れられる表現というものはなく、逆に言えばどのような表現であれ気にいる方も必ずいるとも思っています。
もちろん、この件を受けて以前よりもさらによく考えて表現するようになりましたし、社会に属している以上何を表現しても良いわけではなく、守るべき良識はありますけれど。
そんなことを考えた土曜日の今でした。
ワタシは楽しんでます。
返信削除ありがとうございます。そのお言葉とっても励みになるです!
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