パウロ・フォンセカさんはどんな監督さんですか?
ローマはパウロ・フォンセカさんが新監督に就任したことを公式発表しました。
詳細は以下のリンク先でご覧下さい。Paulo Fonseca ha firmato un contratto che lo legherà al Club per i prossimi due anni, con un’opzione di rinnovo per il terzo ✍️ #ASRoma https://t.co/2RYlH3JVzC— AS Roma (@OfficialASRoma) 2019年6月11日
ローマ、パウロ・フォンセカ監督招へいを公式発表! 「我々は特別な何かを創り出せる」
ローマ公式Twitterより「ローマの新しい監督に関してのちょっとした詮索」
1.パウロ・アレシャンドレ・ロドリゲス・フォンセカ(Paulo Alexandre Rodrigues Fonseca)さんはモザンピークのナンプラで1973年3月5日に生まれた。その当時はポルトガルの植民地でモザンピークは2年後の1975年に独立を果たした。Nato e cresciuto in 🇲🇿— AS Roma (@OfficialASRoma) June 11, 2019
Una carriera da calciatore in 🇵🇹
Ultimi successi da allenatore in 🇺🇦
Qui un po' di curiosità sul nuovo allenatore dell'#ASRoma!
➡️ https://t.co/P2ZaaODjRz pic.twitter.com/SnSSSDX7NZ
2.フォンセカさんは14歳までアフリカに留まり、その後リスボンからそう遠くないセトゥーバルの人口8万人程度の小さな街のバレイロに家族で移り住んだ。
3.フォンセカさんのサッカー選手としてのキャリアは1999年にバレイエンセから始まり4シーズンに渡りCBとしてプレイし91試合に出場6得点を記録。翌シーズンにポルトに移籍するもポルトで彼がデビューすることはなく、レサ、ベレネンセス、マリティモ、ヴィトーリア・ギマランイスとレンタルでの経験が続いた。サッカー選手としてのフォンセカさんの冒険はエストレラ・アマドーラでの5年間の後、2005年に終わりポルトガルの1部リーグで100試合以上に出場した。
4.フォンセカさんが指導者としての冒険を始め、2005年から2007年にかけてユース・チームを率いるのはこのエストレラ・アマドーラだ。2012年まで彼はポルトガルのマイナー・リーグの幾つかのチームで下積みを続けた。これらの数年間で彼は監督として最初の喜びを取り出す。2009年と2010年に彼は2年続けて3部リーグのピニャルノヴェンセをポルトガル・カップ準々決勝に連れて行ったのだ。CDアヴェスではクラブを2部リーグに昇格させそしてポルトガル・カップの準々決勝に導いた。
5.2012年の5月に1部リーグから声がかかる。フォンセカさんはパソス・デ・フェレイラの監督となりリーグを3位で終え、歴史的なUCLのプレイ・オフ出場権を得る。
6.ポルトガルのスーペルコッパを獲得したとはいえ、ポルトでの肯定的ではない経験の後、フォンセカさんはパソス・デ・フェレイラの監督に復帰し1シーズン後ブラガに上陸し2016年にPK戦で古巣のポルトを倒してポルトガル・カップを優勝した。
7.フォンセカさんは17-18UCL決勝トーナメントにてシャフタールのベンチ上でローマと対戦し敗退に追い込まれる。同じ状況は2016年にも出現していた。2016年のブラガのベンチに座っていた時、後に彼が引き継ぐシャフタールによってUELを敗退に追い込まれていたのである。
8.フォンセカさんはシャフタールのベンチで3シーズンを過ごし、ウクライナのカップとリーグを3連覇。2017年にはウクライナのスーペルコッパも獲得した。
9.2019年にマンチェスター・シティを破ってUCL決勝トーナメント進出を決めた後ゾロの仮面を被って記者会見に出席した。フォンセカさんは勝利した場合、それをするとウクライナのジャーナリストに約束していたのだ。「何故、ゾロかって?私が幼い頃好きだった仮面だからさ。当時私は貧しかったし、貧しい人達にとってゾロはカーニヴァルのために作成する最も簡単な仮面だったんだよ。」
10.フォンセカさんがサッカー以外で情熱を注ぐものの中には馬と音楽があり彼は趣味でドラム(もしくはパーカッション)を演奏する。フォンセカさんはSNSにも積極的でInstagramとTwitterのアカウントを持つとのことです。
コメント
コメントを投稿