フランコ・バルディーニさんとは。そして始まる第4章


フランコ・バルディーニさんが初めてローマに現われたのは1998年だった。当時のフランコ・センシ会長は当時のカルチョの新進気鋭の人達の一人として彼を認めた。彼はまず外部コンサルタントに、次にメルカートのコンサルタントになり、最終的にスポーツ・ダイレクターになった。これがフランコ・バルディーニさんをローマに結びつけた最初の行為であった。

彼はローマの3度目のスクデット獲得で後にレアル・マドリードやイングランド代表でも経験を共にするファビオ・カペッロ監督と共に主役の座に君臨する時期もあったが浮き沈みのある7年間を過ごし経営陣としてエメルソン、メクセス、パウロ・セルジオ、サムエル、バティストゥータ、キヴのような選手達を獲得した後2005年にトリゴリアを去った。

彼が再び姿を現したのは2011年の夏、ローマの復活プロジェクトを携えたアメリカオーナーと共にだった。彼、サバティーニさん、フェヌッチさんはUSAによって作られた三頭政治だった。2年間ジェネラル・ダイレクターとして過ごし、ルイス・エンリケ監督を選び、トッティの関係はすぐに上り坂となった。そこから2013年にスパーズとの冒険を始めた。

三度目は2016年、外部コンサルタント、フィエンガCEO曰く、「ローマの政治の役割を持たないパッロッタ会長のコンサルタント」としてだ。最初の3年間は問題なかったのだが・・・。ローマには三つの権力の中枢がある。一つはローマ、一つはロンドン、一つはボストンである。そして元ローマのスポーツ・ダイレクターであるサバティーニさんは言った。ロンドンのそれは明らかにバルディーニさん自身に結びついていたと。

そして今まさに彼の第4章が始まろうとしている。パッロッタ会長はメルカートのコンサルタントとしてローマに復帰するように頼んだのである。彼に求められるのは選手の放出先を見つけることだ。彼の得意のイギリスだけでなくフランスやスペインでもだ。またプレミア・リーグでローマは多くの選手を追跡しており、バルディーニさんの意見は全てにおいて重要になるだろう。つまるところ彼とローマの関係は決してとぎれなかった。ただ何年にもわたって変ってきただけである。


Gazzetta.it


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