大先輩からカピターノへのお手紙

 

ローマ公式Twitterが「1957年にローマを去るとき、アルカディオ・ヴェントゥーリはファン達へ手紙を書いた。66年後、彼は彼のカピターノとして試合数に並んだロレンツォ・ペッレグリーニへ別の手紙を書いた。」

とTweetし公式サイトにてその手紙を公開しました。


以下はその公式サイトの全文です。


我々は1948年から1957年の間にジャッロロッソで290試合に出場し、クラブの殿堂入りメンバーである百戦錬磨のローマのカピターノ、アルカディオ・ヴェントゥーリから手紙を受け取り、ここに公開する。

ローマ対フェイエノールト戦での先発出場のおかげで、ロレンツォ・ペッレグリーニはカピターノとしての試合数で彼に並んだ:101試合


親愛なるロレンツォへ

筆者はアルカディオ・ヴェントゥーリと言いまして、私は9年間ローマのユニフォームを着て、300試合近くプレイしました。

私は君に賛辞を述べたかったです。何よりもまず君は強い選手であり、このローマの信頼の置ける男だからです。ピッチ上でのパフォーマンスに関係なく。スポーツの結果に関係なく。君はこのクラブの象徴であり、君はそれを君の態度で何度も示しました。

君は腕章を伴って100試合を超え、101試合に到達したことで君が私の数字に並んだときいています。

このため私はカピターノからカピターノへ、想像上の握手をできることを嬉しく思います。君やアゴスティーノ・ディ・バルトロメイ、ジュゼッペ・ジャンニーニ、フランチェスコ・トッティ、ダニエレ・デ・ロッシのような人々がこの特権を得られた事が嬉しいです。ロマーニ、そしてロマニスティとしてチームを代表できるという特権をね。

私がプレイしていたころ – 今とは本当に別もののカルチョだったけれど – おそらく君のご両親すら生まれていなかっただろうけれど、ローマは常にここまでこのことがありました。情と帰属意識です。エミリア・ロマーニャ州の小さな町、ヴィニョーラで生まれたとはいえ、自分にもね。

ローマ、私はそれを最初の瞬間から、すぐに私のチームだと感じました。とりわけ私たちがセリエBに降格した、そのリーグでローマが過ごした唯一のシーズンの1951年の時にね。自分の願いは私のチームメイトたちのそれと一緒に直ぐに帰属していた場所へローマを戻すことでした。セリエAへ。

私達は成功しました。直ぐに成功しました。私達はセリエBのリーグを制覇し、私は私たちに私たちの首位の確信があり、まるで偉大なる勝利であるかのように皆が歓喜したヴェローナでのあの日のことを覚えています。私たちにとってはそうだったのです。何故なら直ぐに戻ってくることは予想されたことでも簡単なことでもなかったからです。

それから、やがて、私はカピターノになりました。彼らが私にチームリーダーの重責を任せた時、私はグループの奉仕に身を置き、ローマを常に前進させようとしたことを覚えています。個人が重要なのではなく、チームが重要でした。いつも変らず。

ロレンツォ、君はあのティラナの魔法の夜にカピターノとしてヨーロッパのカップを掲げるという幸運を得ました。私は君にあの魔法のような感覚をもう一度経験することを願っています。君が勝利するなら、ローマが勝利します。ローマが勝利するなら、ローマを愛する私たち全員が勝利します。ローマでプレイする者はその後一生ロマニスタになることしかできないのだから。

ロレンツォ、色々おめでとうございます。そしていつまでもforza Romaです!


(了)

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