ジュリアーノ・タッコラさん、忘れられない名選手の物語


本日二つ同時に投稿しました。もうひとつはコチラ



SPAL戦でローマは50年前の1969年に僅か26歳で亡くなった元ローマの選手で昨年の11月にローマの殿堂入りを果たしたジュリアーノ・タッコラさんを追悼する為、以下のようなパッチが付いた特別仕様のユニホームを着用しました。

このタッコラさんについてディ・マルツィオさんによるとSPAL戦に先立って行われた記者会見でラニエリさんは「土曜日のSPAl戦で我々は50年前に亡くなったジュリアーノ・タッコラさんを追悼する。彼のファンであることに加えて、私はその年にローマに入団したので彼のことははっきりと記憶している。タッコラさんは永遠に私の心にあり、スタジアムでの彼の死は私に刻まれたままだ。」と述べた。

ジュリアーノ・タッコラさんはヴァレーゼ、エンテッラ、アレッサンドリア、サヴォーナと多くの下積み生活の後、1967年にジェノアからローマへとやってきた。ローマでの1シーズンちょっとで計17得点を記録。彼をピッチから離れたままにすることを強いた一連の急病(もしくは発作かも)の後、1969年3月11日、彼はチームメイトであるローマの選手達がカリアリと対戦するのを観戦している間にスタジアムで亡くなったとのことです。

ローマ公式Twitterより「ジュリアーノ・タッコラさん、忘れられない名選手の物語。」

・初得点 1967年9月24日
・最も美しい得点 1967年10月8日
・元日のドッピエッタ 1967年12月31日
・最速の得点 1968年9月29日
・オリンピコでの最後の得点 1968年12月15日


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