ASローマの最初のインノ、"La Canzona di Campo Testaccio"

 

ASローマの主なインノ(inno、イタリア語で賛歌の意)として

・「Roma Roma」もしくは「Roma Roma Roma」としても知られるアントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti)さんの "Roma(non si discute si ama)" (1975年音源リリース)

・「Forza Roma, forza lupi"」としても知られるランド・フィオリーニ(Lando Fiorini)さんの ”forza roma" (1977年音源リリース)

・アントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti)さんの ”Grazie Roma” (1983年音源リリース)

そしてASローマの最初のインノと言われる

「Campo Testaccio」としても知られる"La Canzona di Campo Testaccio"

があります。

今回はこの「Campo Testaccio」について調べたことをメモしておこうと思います。

"La Canzona di Campo Testaccio(ラ・カンツォーナ・ディ・カンポ・テスタッチョ)"は直訳すると ”カンポ・テスタッチョの歌” になります。

Campoとは英語で言うところ「field」にあたる単語でTestaccioは地名です。

つまり”カンポ・テスタッチョの歌”は

”テスタッチョ・フィールドの歌”

となります。

そしてカンポ・テスタッチョは昔ASローマが使用していたホーム・スタジアムの名前になります。詳細は電子報告的ASローマ聖地巡礼マップの該当ページを見てもらいたいのだけれど、説明文を抜き出すと

ASローマ3箇所目のホーム・スタジアムにして初の自前スタジアム。1928年に建設を開始し1929年の11月にオープン。イギリスのスタジアムをモデルにASローマの黄色と赤色に染められた木製スタンドを有するスタジアムは元ASローマの会長であるフランコ・センシ(Franco Sensi)さんのお父様でエンジニアのシルヴィオ・センシ(Silvio Sensi)さんによって立案された。1927年に設立したASローマは最初モトヴェロードモ・アッピオ(Motovelodromo Appio)をホーム・スタジアムとして使用(1927/28及び1928/29の2シーズン)し、次にカンポ・テスタッチョの完成を待つ間SSラツィオのホーム・スタジアムでもあったスタディオ・デッラ・ロンディネッラ(Stadio della Rondinella)を一時的にホーム・スタジアムとして使用(1929/30シーズン)した後1929/30シーズンの途中~1937年11月及び1938年9月~1940年6月までのおよそ10年間をカンポ・テスタッチョをホーム・スタジアムとして使用した。1940年10月21日に取り壊されたスタジアムの跡地にある柵には現在も「CAMPO TESTACCIO」と書かれたプレートが残されている。ちなみにフルヴィオ・ベルナルディーニ・スポーツ・センターにあるカンポ・テスタッチョはこのスタジアムから名前が取られている。

というホーム・スタジアムでした。

"La Canzona di Campo Testaccio"のオリジナルは1931年にトト・カステッルッチ(Toto Castellucci)さんによって生み出されたそうです。

彼はロマニスタ・チームの偉業にインスピレーションを受けたマリオ・ボナール?(マリオ・ボンナルドかも?Mario Bonnard)さんの映画  "Cinque a zero" のサウンド・トラック(作中歌)を作るべく、イタリアで製作された音を用いた最初の映画作品であるジェンナーロ・リゲッリ(Gennaro Righelli)さんの1930年の映画  "La canzone dell'amore" のためにアルマンド・フラーニャ(Armando Fragna)さんが作曲、ビクシオ・ケルビーニ(Bixio Cherubini)さんが作詞したアルゼンチン・タンゴの楽曲 "Guitarrita"の歌詞を手直てこれを作ったそうです。

こうして生まれたこの楽曲は当時のロマニスタの記憶には刻まれたものの記録(音源)としては残されていなかったそうです。

転機となったのは1977年、スポーツ・ジャーナリストのサンドロ・チョッティ(Sandro Ciotti)さんがASローマの50周年を記念して45 giri(音楽に疎いので良く分からないのだけれど7インチ・レコードというもののこと)を作ると約束したことだったそうです。

この方が作った"La Roma racconta"という7インチ・レコードの中に"La Canzona di Campo Testaccio"が収録されました。

曲の録音が行われたのは1980年、チョッティさんがグループで音楽活動をしていたヴィットリオ・ロンバルディ(Vittorio Lombardi)さんにお電話。

曲の録音を依頼されたロンバルディさんと彼のバンドはヴェネト通りの”Capriccio”に行きます。

そこにいくとチョッティさんとロンバルディさんらにメロディと歌詞を伝える為に彼が連れてきたかなりご高齢のロマニスタ3人がいたそうです。

締め切りがかなり厳しかったので、録音はチョッティさんがインタビューを行うときに使っていたポータブル・レコーダーで行われたそうです。

これが逆に功を奏して即興録音による背景のざわめきとノイズが1930年代の歌を聴いているような感じになったそうです。

こうしてロンバルディさん版の"La Canzona di Campo Testaccio"の音源が完成しました。

ちなみにロンバルディさんは2000年代(たぶん2007年)にちゃんとした環境で録音した新ヴァージョンの"La Canzona di Campo Testaccio"も作っています。

私が調べたことはこれで終わりなのだけれど、"La Canzona di Campo Testaccio"を聴いてみたいという方は「Campo Testaccio」の公式サイトにてロンバルディさん版の"La Canzona di Campo Testaccio"の新旧ヴァージョン両方のmp3音源が無料でダウンロードできるようになっているのでダウロードしてみてください。


これの

VECCHIA VERSIONE DI CAMPO TESTACCIO

の下の

>> SCARICA LA CANZONE<<

を押すと旧ヴァージョンがダウンロードできます。

NUOVA VERSIONE DI CAMPO TESTACCIO

の下の

>> SCARICA LA CANZONE<<

を押すと新ヴァージョンがダウンロードできます。

そして

VISUALIZZA IL TESTO DELLA CANZONE

で歌詞を確認できて

SCARICA IL TESTO DELLA CANZONE

で歌詞をダウンロードできます。


以上です。

ちなみに私が一番好きなインノ?はセリエAのやつです。







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